世界を驚かせたクオーツ式腕時計|Japan's Top Inventions|Voiceover|Yuki Rhinehart

この記事を以下のSNSで共有(シェア)するためのボタンです。ご活用ください。

時を正確に刻む技術。「クオーツ ショック」と評されたこの優れた技術で世界じゅうを驚かせ、美しいデザインと安定した正確さで海外の人のこころも魅了した日本のブランドがあります。その名は「SEIKO」。

セイコー クオーツアストロン35SQ」は、世界初のクオーツ式腕時計として1969年12月に発売されました。

それまで一般の高精度な機械式腕時計で日差数秒から数十秒が当たり前であった時代に、日差±0.2秒、月差±5秒という飛躍的な精度の向上を実現しています。

またこの開発によって特許権利化した技術を公開したことで、日本発の技術であるクオーツ式腕時計は劇的に普及し、世界中で正確な「時」を手にすることができる社会が生み出されました。

現在では世界じゅうで使用されている腕時計の96%をクオーツ式の時計が占めています。

クオーツ式腕時計|Japan's Top Inventions|Voiceover|Yuki Rhinehart

世界初の技術を生み出した開発担当者、SEIKOブランドを支える技術者の志と矜持が感じられるNHK WORLDのJapan's Top Inventionsです。もちろんVoiceoverはユキ・ラインハートさんが担当されています。

名称     :セイコー クオーツアストロン35SQ
発売年    :1969年(昭和44年)
特徴     :世界初のクオーツ式腕時計
開発・製造  :株式会社諏訪精工舎(現・セイコーエプソン株式会社)
販売     :株式会社服部時計店(現・セイコーホールディングス株式会社)

この実物は東京都墨田区東向島にあるセイコーミュージアムで常設展示されています。白鬚橋に近い墨堤通り沿いにある時計の博物館、ぜひ一度訪ねてみてください。

セイコーミュージアム外観

セイコーミュージアムの外観写真の右をご覧いただくと、壁にデザインされている時計はムーブメントから部品に至るまで自社製造でまかなういわゆる「マニュファクチュール」ブランドの「グランドセイコー」です。時計好きには憧れのブランドでしょう。
f:id:noir555:20190511191456j:plain

グランドセイコー公式サイト

グランドセイコーはムーブメントの設計から開発、製造、組立、調整、検査、出荷までを自社ですべて担う真の「マニュファクチュール」で、最先端の技術と最高レベルの匠の技を融合して作られている腕時計です。

グランドセイコーの実物をはじめ、数多くの名品が見られます。高級腕時計からお手頃な価格の腕時計まで見比べるのも腕時計好きには楽しい時間となることでしょう。私はセイコーアストロンセイコーブライツに好みのモデルを見つけ、物欲がむくむくと起き上がってきました(苦笑)。

セイコー服部時計店精工舎)の創業者は服部金太郎さん。

強い意志と忍耐力をそなえた経営者であったと伝えられています。写真からも凛々しさのなかに強い意志をそなえた方であると感じられます。創業者のDNAは世界初、日本初の技術を連発するセイコーブランドに受け継がれているのでしょう。

向上心は何処までも持っていて、一歩一歩少しずつでも急がず休まずに働いていったほうが良い。

”No hurry or rest”, and " Always have ambition and keep working step by step".

f:id:noir555:20190511192349j:plain

セイコーメソッドに関する案内

f:id:noir555:20190512110037j:plain

セイコーミュージアムを訪問すると、不思議と元気が湧いてきます。みなさまもぜひ東向島へ。

Youtubeセイコー ウオッチ公式チャンネル


さすがセイコーさん、CM動画のセンスも素晴らしい。漆芸家琺瑯(ホーロー)職人さんの手工芸と最先端テクノロジーの融合、実に美しい映像です。ぜひご覧ください。

Seiko Presage Craftsmanship PV 2018 (full ver.)

墨田区東向島には洋食の名店、長時間待ちの行列必至、レストラン カタヤマや

レストランカタヤマ | お肉のおいしい下町の洋食や

都立庭園のなかでも名園のひとつ、向島百花園があります。

向島百花園の初夏

これから季節は初夏に向かっていきますが、この季節の東向島散歩ならこの記事をぜひ参考にしてみてください。

向島百花園、晩夏、初秋の光景。向島歴史散歩

源頼朝ゆかりの隅田川水神もセイコーミュージアムのすぐ近くにあり、徒歩圏内です。

またこのあたりは江戸幕末、明治維新をたくましく生き抜いた榎本武揚が晩年は向島に住んでいました。

向島百花園を愛し、毎日のように向島百花園を訪れ四季の草花を眺め、詩吟に興じる、文字通り悠々自適の人生を送りました。

以下の記事に詳しく書いています。ぜひご覧ください。

向島百花園隅田川七福神めぐり雪景色